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最高裁判所第三小法廷 昭和53年(あ)1718号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

被告人川畑茂美本人、同被告人の弁護人石走義宏、被告人有馬廣人の弁護人和田久の各上告趣意は、いずれも事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかしながら、所論にかんがみ職権をもつて調査すると、原判決は、左記の理由により破棄を免れない。

一本件公訴事実は、被告人両名が、昭和四八年一月六日午前零時ころ、垂水市海潟二番地バー「和」の前から同店ホステス甲野花子(当二五才)を自動車に乗せて同市中俣岩ノ上二一三二番地の塵芥処理場付近に連れ出し、共謀のうえ、同所において、同女の顔面を殴打し、押し倒して踏んだり蹴つたりして暴行を加え、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女が抵抗したためその目的を遂げなかつたとの強姦未遂の事実(原判決第一事実)、及び、右暴行により同女が失神したため、同女をこのまま放置すれば前記犯行が発覚することをおそれ、むしろ同女を殺害しようと企て、共謀のうえ、同女を抱きかかえて前記塵芥処理場付近から約一五〇メートル北西の同市中俣岩ノ上六五番地の山林内の崖の上まで運び、同日午前零時三〇分ころ、被告人有馬が両脇をかかえ、被告人川畑が両足を持ち、同女を約三〇メートル下の崖下に放り投げて落下させ、よつて同女に対し左大腿骨々折の傷害を与え、右傷害に由来するショック及び急性栄養失調により同女を死亡するに至らせたとの殺人の事実(原判決第二事実)である。

右のうち、強姦未遂の事実については、第一審公判以来争いがなく、証拠上もこれに相応する事実を認めることができるのであるが、殺人の事実については、被告人両名は捜査官に対して自白し、被告人川畑は第一審第一回公判においても公訴事実を認めたものの、その後、被告人両名ともそれぞれ自白を撤回し、以来これを否認し続けている。そして、第一審は、強姦未遂の事実のみを認め殺人の事実については十分な証明がないとして無罪の言渡しをしたのに対し、原審は、両事実を肯認し、被告人有馬を懲役八年に、被告人川畑を懲役六年に処する旨の判決を言渡している。そこで、以下、殺人の事実について検討する。

二右公訴事実に関し、証拠によりぼ確実と認められる事実は次のとおりである。

(1)  事件当時、被告人有馬は兄の経営する運送業の手伝いをしており、被告人川畑は高校三年生であつたところ、昭和四八年一月五日夜、被告人有馬は被告人川畑を誘つてボーリング場に出かけ、その後、垂水市海潟所在のバー「河」でビールなどを飲み、翌六日午前零時過ぎころ、付近道路にいたバー「和」のホステス甲野花子に「食事へ連れて行つてやる。」などといつて自分の自動車の助手席に乗せ、後部座席に乗つた被告人川畑とともに、公訴事実記載の塵芥処理場前に連れて行つたうえ、被告人有馬が単独で車内において、次いで、被告人川畑とともに車外において執拗に同女を姦淫しようとしたが、同女から抵抗されたためその目的を遂げることができなかつた。そのため、被告人有馬は、その腹いせから、また、同女から「飯も食わせないで、このケチが。」と悪口を言われたので、同女を蹴つたり踏んだりし、被告人川畑もこれに便乗して同様の暴行を同女に加えた。

(2)  同女は、同日から約一か月半経過した同年二月二一日、塵芥処理場の北西約一五〇メートルの山林内にある崖下(谷底)において、公訴事実記載の傷害を負つたうえ、同記載の原因により死亡しているのを発見された。

(3)  被告人両名は、同女に対する強姦未遂などの犯行を終えた後、前記の自動車に乗つて塵芥処理場前を立ち去り、約四キロメートル離れた同市錦江町にある保養センターに行き、被告人有馬の中学時代の同級生である従業員北方順子に対し宿泊の申込をしたが断られたため同保養所敷地内に駐車し、車内で寝て午前七時半ころ各自の家に戻つた。

(4)  花子は精薄者であつて、前記「和」の経営者の供述などによると、自分の肌着の買い物もできず、平仮名を少し読み書きできる程度であつた。そして、バー「和」に来る若者らによつて、時々野外などに誘い出されて姦淫されていたようであり、このような場合、同女は大抵は明け方まで店には戻つていたが、二、三日してから帰るようなこともあり、また、相当遠い所から歩いて帰ることもあつたようである。

三殺人の事実に関する主な積極証拠は、被告人両名の捜査官に対する自白調書である。右自白の信用性について疑問がもたれるならば、ほかに被告人らの殺人の所為を認定するに足りる証拠はない。そこで、右自白を信用することができるかどうかについて検討する。

被告人両名は、いずれも被害者の死体が発見された日の翌日である同年二月二二日、警察署に任意出頭を求められて警察官の取調べを受け、同日夜、逮捕された。

被告人川畑は、当初は殺人の事実を否認したが、同日中に、殺人は被告人有馬の単独犯行であることを暗に示唆する趣旨の供述をし、翌二三日には殺人の共同犯行の事実を概括的に自白し、同月二四日には検察官に対しても同様の自白をし、同月二六日警察官に対し詳細な自白をし、以後、同年三月五日まで自白を維持した(司法警察員に対する二月二三日付ないし同月二七日付各供述調書計五通、検察官に対する同月二四日付及び三月五日付各供述調書)。次いで、同年三月二四日の家庭裁判所における審判では殺人の事実を否認したが、同月三〇日の検察官の取調べでは再び自白し、その後、同年五月一七日の第一審第一回公判においても殺人の公訴事実を認めている。しかし、同年九月一一日の第三回公判においてはこれを否認し、以後第一、二審を通じ否認している。

次ぎに、被告人有馬は、逮捕当日とその翌日には殺人の事実を否認したが、二月二四日には自白し、それ以後三月五日まで自白を維持している(司法警察員に対する二月二四日付ないし同月二八日付各供述調書計四通、検察官に対する三月三日付及び同月五日付各供述調書)。しかし、同年三月二四日の家庭裁判所の審判においてこれを否認し、それ以後第一、二審を通じ殺人の事実を否認している。

被告人両名の殺人の事実に関する供述の経過は以上のとおりであつて、否認と自白とが交錯し、自白は安定したものではないが、とにかく、被告人両名は右のとおり多数回にわたつて捜査官に対し自白していたこと、ことに被告人川畑は第一審第一回公判においても殺人の公訴事実を認めていたこと、被告人両名の各自白の内容は詳細で具体的であり、迫真性を有すると思われるような部分も含まれていること、被告人両名は少年であるとはいえ重大犯罪について軽々に虚偽の自白をするようにも思われないことなどを考慮すると、被告人両名の各自白の信用性は一応肯定してよいようにも思われる。そのほか、被告人両名が同女を殺害したのでないとすれば、同女は被告人両名から前記二(1)の暴行を受けた後、被告人両名と一緒に帰ることを断わり、暗夜、道路を見失うなどして付近をさまよい歩き公訴事実第二記載の崖際に近づいたすえ、誤つて足を踏み外して谷底へ転落したか、又は被害者が精薄者であるところから危険に気付かず若しくは危険を無視し一途に崖下へ降りようとして、崖際から急斜面を降りかけ、遂に足を滑らせて谷底に転落したなどの可能性が考えられるが、その蓋然性も少ないと思われることなどを総合すると、被告人両名の殺人の犯行を認定した原判決は是認しうるようにも思われる。

四しかしながら、更に詳しく検討すると、右のように認定するについては次のような疑問がある。すなわち、

(1) 被告人両名の自白によると、殺人の動機は、被告人らが前記二(1)記載のように姦淫の目的を遂げなかつたことの腹いせと花子から前記のような悪口をいわれたことから、同女の腹部や腰などを蹴つたり踏みつけたりしたところ、突然、同女が深い失神状態に陥り、息使いも苦しそうであり、このまま放置すると、同女は死亡してしまい被告人らの前記犯行が発覚するであろうし、また、同女を病院や家などに連れて行くならば命が助かるかも知れないが、やはり被告人らの犯行が発覚するので、むしろ同女を人目につかない前記二(2)記載の崖下に投げこんで殺害しようと考えた、というのである(ただし、被告人川畑の初期の自白では、同女に対し上記の暴行を加えたところ死亡したので、その死体を運搬して崖下に投げこんだという。)。

しかしながら、被告人両名の自白調書自体でも明らかなように、事件当夜、被告人両名が花子を自動車に乗せて連れ出したことは他の男ら(有馬初義、俣江満明)によつて目撃されており、したがつて、被告人らが同女を殺害し同女が行方不明などになれば、その容疑が先ず第一に被告人らに向けられる状況にあつたこと、更に、被告人らが同日以前に公訴事実第二記載の崖際まで出かけたことは全くなかつたというのであるから、同女を崖下に投げこんだからといつて確実に同女を殺害しうるかどうか及び同女の死体の発見を完全に防止しうるかどうかの知識もなかつたものと思われること、その他、後記(2)で触れる同所付近一帯の暗さの程度などを考えると、右自白に述べられているような犯行の動機は殺人の動機としては薄弱すぎるように思われる。なお、被告人両名が、前記二(1)記載の強姦未遂の犯行後に、同女に対し若干の暴行を加えたことは、被告人らが公判廷でも認めているところであるが、同女の死体解剖鑑定書などを見ても同女を右のような重篤な状態に陥らせた原因である暴行を推測させるような痕跡は見あたらないようであること、同女の死体解剖の鑑定人城哲男の第一審公判における供述によれば、同女は谷底に転落し後記(3)掲記の重傷を負つた後にも相当長時間生存し、パンタロンのファスナーやガードルを引き裂いたりするほどの余力を残していた形跡のあることなどを考え合わせると、被告人らの暴行によつて同女が深い失神状態に陥つたなどという自白の信用性にも疑問を容れる余地がある。

(2)  司法警察員作成の実況見分調書、第一審裁判所の検証調書及び原審証人比良義己の証言などによると、本件塵芥処理場前を含め同所付近一帯には人家はなく、街灯その他の照明設備も存在しなかつたようである。事件当夜、月が出ていなかつたことには疑いがなく、星が出ていたか曇天であつたかについて被告人両名の供述は分かれている(気象台に対する照会はされていない。)。被告人両名の自白調書を見ても、被告人らが同女を運搬する際に自動車の前照灯や懐中電灯などを利用したというような供述はない。夜間検証が行われていないので明確ではないが、事件当夜、右の場所一帯は真暗又はこれに近い状態であつた疑いがある。

被告人両名の自白によると、両名は、失神した同女を運搬するため、有馬が同女の両肩を、川畑が同女の両膝付近をかかえ持ち、有馬が先になつてうしろ向きで進み、川畑がやや斜めになる位置で後から進み、あぜ道や草むらや畑の畝の間などを通つて公訴事実第二記載の崖上に到達したというのであり、司法警察員作成の実況見分調書などによると、右運搬の距離は合計約二二〇メートルであつて(四冊一一〇三丁等)、右自白にいうあぜ道は人ひとりがようやく通れる程度の細道であり、畑と畑の間には段落などがあり、畑の畝にはえんどうの蔓をはわせる竹の支柱が無数に立てられていた状況である。事件当夜、右の場所一帯が前記のような暗さであつたとすれば、被告人両名の自白調書に述べられているような方法で同女を運搬することができたかどうか、疑問がある(少くとも、運搬には著しい困難を伴うように思われるが、被告人両名の自白調書を見てもその困難さを示すような状況は現われていない。)。被告人両名が崖上に到達した後の行動に関する供述部分についても右と同様の疑問をさしはさむことができる。

(3)  前掲鑑定書及び同鑑定人の第一審及び原審における供述によると、同女の死体に認められた主な生前受傷は、(イ) 左大腿骨々折、(ロ) 左上腕内側皮下、皮内出血、(ハ) 左腋窩から前腕部にかけての筋肉間出血であつて、頭部、顔面、肩部などに重大な生前損傷の痕跡は認められず、右(イ)の傷は、同女が転落の際左足を垂直にして地面に突きたてるような姿勢で着地したため生じたものであると推認されるというのである。他方、前掲実況見分調書などによると、被告人両名が同女を投げこんだという崖上から谷底までの高低差は約三〇メートルであり(四冊一〇二七丁等)、そのうち上方約二〇メートルは七〇度ないし八〇度の傾斜面でその上方部分に低木の類や草などが生えているが、谷底からその上方約一〇メートルの部分はほぼ垂直の岩石の絶壁であり、谷底には大小多数の岩石が存在していたことが明らかである。

被告人両名の自白によると、被告人両名は、失神中の同女の両肩と両足を掴んでその身体を振り、できるだけ遠くに飛ぶようにして谷底に投げこんだ、投げこんだ後には同女の身体のずり落ちて行く音などとともに同女の悲鳴が聞こえ、あとは静まりかえつた、というのである。しかし、このような方法で谷底に投げこまれた場合、同女が丁度よく足を地面に突きたてるような姿勢で着地することになるかどうか、疑問がある。原審証人城哲男の供述にあるように、上半身の比重が相当大きいことを考えると、失神状態の同女が身体を水平にして谷底めがけて投げこまれた場合、上半身を下方にして転落し、頭部、顔面などを崖の斜面や谷底に激突させて重大な傷害を負う確率が大きいように思われる。同女が転落の途中で崖の傾斜面の上方に生えている樹木などに接触して姿勢が変わり、着地直前に足を地面に突きたてるようにして着地することは絶無ではないであろうが、やはりその可能性は相当少ないように思われる(なお、捜査当局の人体大のダミーを用いた投棄実験の結果のフィルムを見ても、ダミーは、すさまじい勢いで、多くの場合頭部を下方に向けて、かつ、転落の途中で崖斜面の樹木などと激突して回転しながら落下している。)。被告人両名が同女を自白調書に述べられているような方法で投げこんだかどうかについても疑問を容れる余地がある。

(4)  花子は崖下に転落する前に裸足で付近の畑などを歩き回つたのでないかと疑われる形跡がある。すなわち、同女が当夜はいていたハイヒール靴の左片方は、事件の朝、塵芥処理場付近に落ちており、また、靴の右片方は、死体の発見場所の上方の崖の斜面に落ちていた(五冊一一一九丁等)。

他方、前記死体解剖鑑定書の記載、鑑定人の証言などによると、同女の死体の両足の木綿製靴下の足裏部分などに多量の泥土が付着していたことが認められる。同証言によると、その泥土の色は茶褐色であつて、付着の程度は著しく、「ちよつと、くつつけたものではない」というのであり(二冊四四七丁等)、解剖鑑定書の写真をみても、鮮明ではないが、右足の靴下の足裏部分などに泥土が塗りつけられたように付着している(四冊一〇一五丁等)。更に、靴下をとり去つた後の右足の各指にも泥土が付着しているように見える。なお、左足の靴下はパンタロンの裾に覆われていて、写真上は明らかでないが、鑑定書の記載などによると、左靴下にも多量の泥土が付着していたようである。ところで、同女は谷底に転落した後、死体が発見されるまでの約一か月半の間、谷底に横たわつていたものであり、死体発見当時には谷底の上手から雨(六冊一六九九丁)によつて流されてきた小石、土砂などによつて上半身の一部などが埋められる状態になつていたから、その間に、多少の泥土が靴下に付着することも考えられる(この場合には、足裏部分に限らず靴下全体に付着するであろう。)。しかし、死体発見当時、右足の部分は土砂に埋まつていなかつたこと(四冊一〇四〇丁等)を考えると、右靴下の多量の泥土は死体放置期間中の付着によるものではないように思われる。

更に、実況見分調書の写真から見られる谷底の死体付近にあつた土砂等(四冊一〇四一丁等)と靴下に付着していた前記茶褐色の泥土とは土質を異にしているようにも見受けられる(ただし、昭和四九年七月二三日付警察技師矢野勇男外一名作成の鑑定書には、靴下の足裏部分に灰色の土砂多量が付着しているとの記載があり、鑑定人城哲男の証言との間に食い違いがある。)。なお、同女の右足に付着していた泥土の一部は、転落の際にはがれ落ちたり、その後の降雨によつて洗い落とされる可能性もあつたと考えられる。また、崖の斜面から発見された右片方の靴の内部には泥土の付着は認められない(五冊一一二一丁、二冊四四九丁等)。

以上の諸点にかんがみると、同女の死体の靴下の足裏部などの多量の泥土は同女が裸足で崖上の畑などを歩き回つたりした際に付着したものではないかという疑い、ひいては、同女が、塵芥処理場前で被告人らから暴行を受けた後、被告人らと一緒に帰ることを拒み、その付近で見失つた左片方の靴を探し回つたが見つからず、そのため残つた右片方の靴を手に持ち、暗夜、付近を歩き回るうちに崖際に近づき転落したのではないかという疑いが生ずる。

(5)  被告人川畑の高校生の友達である大重泰平及び宮迫晴久の司法警察員に対する各供述調書によると、被告人川畑が事件当日(一月六日)午後二時ころ、たまたま大重泰平と出会つた際、同人に対し、「昨夜、有馬廣人とボーリング場で一緒になり、その後、同人にバーに連れて行かれ、それから、足の悪いびつこの女(花子を指す)を塵焼場前に連れて行き肉体関係をしようとしたができなかつたので、腹が立ち、『お前は歩いて帰れ』といつて、女を車の外にほつたらかして帰つてきた。」という話をしたほか、その二日くらい後、宮迫晴久に対しても同じような話をした。この話の内容は、被告人両名が第一、二審公判で殺人の公訴事実に対する弁解として述べているところとほぼ一致する。被告人川畑が友人二人に対し右のような話をした真意は必ずしも明らかではないが、被告人川畑が被告人有馬とともに花子を塵芥処理場前で姦淫しようとしただけにとどまらず、真実、同女を崖上から谷底へ投げこんで殺害するという重大犯罪を行つていたものであるならば、その発覚の端緒になりかねないような話を友人などにすることはありえないように思われる。更に、証人俣江満明、同俣江二三夫の第一審公判における各証言、右両名の司法警察員に対する各供述調書などによると、被告人川畑は事件の二、三日後ころ、バー「和」のマスターから花子が店に戻つてきていないことを聞かされて心配し、それ以後、同女の死体発見のテレビニュースに接するまでの間、平生から親しくしていた同じ部落の青年団の役員をしている俣江二三夫方に学校からの帰途、合計一〇回くらい立寄り、「花子はまだ戻つてこないのか。まだ見つからないのか。」「あの辺(塵芥処理場付近)には、ひら(崖)があるから、もしかしたら、花子は落ちて死んでいるのでないか。」などと真剣に花子の身の上を案じる態度を示していたというのである。被告人川畑の性格などをどのように理解すべきかにもよるが、特段の事情のない限り、これまた同被告人の有利な情況証拠の一つに数えてよいようにも思われる。

なお、原判決は、「理由第三、三、1」において、被告人有馬が一月八日保養センターの従業員北方順子らに対し「一月六日の午前一時ころよりかなり前から来ていた旨警察に話してくれ。」と依頼した事実を認定したうえ、格別の理由を示すことなく、右依頼の事実をもつて殺人の犯行のアリバイ工作であると解し、これを被告人両名の殺人の自白の真実性の裏付け資料の一つとしている。しかし、右の依頼は強姦未遂のアリバイ工作にすぎないと解する余地が十分あるのであつて、これを殺人の犯行のアリバイ工作であると断定することはできない。

また、被告人有馬が少年鑑別所入所中に被告人川畑に対し字を書いた紙片を渡した事実があり、その記載内容が、「(女を)捨てたことは、しなかつたように言え。」との趣旨であつたか、又は「したことはしたように、せんことはせんように言え。」との趣旨であつたかについて証拠が分かれているところ、原判決は、「理由第三、三、2」において、右紙片の記載内容が後者の趣旨であつたとすれば、「そんなことはなにも連絡するまでのことはない」から、前者の趣旨であつたと認めるべきであるとして、これも被告人両名の殺人の自白の真実性の裏付け資料としている。しかし、被告人有馬の第一審公判における供述及び被告人両名の殺人の事実に関する捜査段階以来の供述の経過などに照らすと、被告人有馬が右紙片を渡したのは、被告人川畑に対し殺人の事実に関して虚偽の自白をしないように要請する趣旨であつたと解することもできるから、原判決の前記のような見方は首肯しがたい。

更に、原判決は、「理由第二、一」において、被告人川畑の第一審第一回公判における殺人の訴因を認める旨の供述に信用性のあることを強調しているが、被告人川畑の父から示談交渉などを依頼されていた原審証人若松勲の証言によると、同人は、「弁護士から、少年であるから執行猶予の可能性があり、保釈も可能であると言われたので」、第一審第一回公判前後に合計七、八回にわたつて、単独で又は被告人川畑の父、叔父とともに、同被告人に面会して、再三にわたつて殺人の事実を自白するよう説得していたというのであるから、被告人川畑の第一審公判における殺人の事実の自白を信用性の高いものと見ることはできない。

以上の諸点、その他記録に現われた諸事情を総合すると、被告人両名の捜査官に対する各自白の信用性については疑問をさしはさむべき余地があり、被告人両名について殺人罪を認めた原判決には審理不尽ないし重大な事実誤認の疑いがあり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よつて、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を原審である福岡高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(伊藤正己 環昌一 横井大三 寺田治郎)

被告人川畑茂美の上告趣意〈省略〉

弁護人石走義宏の上告趣意〈省略〉

弁護人和田久の上告趣意〈省略〉

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